転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

小さな暮らし。

いい天気だ。11月もなかば過ぎだから晩秋なんだけど、空はよく晴れて、暖かい。日を浴びて、近所をしばらく歩く。

庭のメダカの世話は毎朝の日課だ。越冬が難しそうなチビはこの時期、室内の水槽に移す。引越し作業は先日やったところだが、移しそこねていたチビを2匹発見。水槽は水温が20度まであがっていて、庭の池─といっても本当の池ではない─とは8度も水温差が出てしまっているから、時間をかけて水温をなじませてから、チビを移す。案外と時間がかかってしまったが、チビはしばらくじっと様子をうかがった後、水槽のなかを泳ぎ出す。同じくらいの大きさのチビばかり16匹の水槽だ。楽しくやってくれ。

近所の図書館に行く。小さな図書館は冊数が限られる分、仕入れのセンスが問われる。ぶらぶらしてたら、スチュアート・ダイベックというシカゴの小説家の短編集が目にとまる。大きな図書館やら本屋やらアマゾンやらでは、なかなか無い出会いだ。1冊借りる。

ぼくらの毎日は、他愛もない小さな出来事から成りたっている。その出来事ひとつひとつの先に未来がある。という意味で、未来はぼくらの手の中にある。誰かの薄っぺらい妄想的言動のなかにあるわけではない。

小さな暮らしを、これからも生きていく。

「何もしない老人たち」が、これからの日本を変えていく。

大きな仕事がひと段落しつつあって、こころの余裕がやっと生まれてきた気がする。毎朝の庭作業が日課なのだけど、ゆっくりと見渡すと、これまでスルーしていたことに気づくことができるようになってきた。今朝は、道端に生えてた草木を切った。多少、通りやすくなったのではないかと思う。

ぼくはいま50台半ばだから、老人を自称するにはまだ少し早いけど、体力の減衰は自覚してるし、この先は確実に「老人への道」が待っている。どう歳をとっていくか、いまは選択肢がいろいろとあるだけに、考えていかないといけない。

駅前の商業施設に行くと、ベンチにはたくさんの老人が座って、何もしないで、ぼんやりと過ごしている。彼らは何も生産していない。生産至上主義的思考からすれば、要らない人間ということになる。

果たしてそうか。

近現代の日本は、「猪突猛進まっしぐら」に進んできた。社会ぜんたいが、じっくり、ゆっくりと考えてこなかった。思考停止の果てに、いまの日本社会がある。あちこちがいびつに仕立てられた、この社会の姿がある。

老人には、ゆっくりと流れる時間がある。ぼんやりと思いをめぐらせる余裕がある。これまで見落としていたことに気づけるかもしれない。高齢化社会、老人の数はこれからもどんどん増えていくから、日本社会全体の「ぼんやり総数」も増大していく。従来の生産至上主義からすれば、「増大するぼんやり総数」はネガティブなお荷物でしかないのだろうけど、いびつな現代日本社会を整えるパワーと考えれば、ポジティブな希望となる。

老人たちには、こういう日本社会にしてきた責任もある。凝り固まったお決まり思考から、ぼんやり時間が生む、自由で、多様な思考へ。

歳をとったら、ゆっくり、ぼんやりしよう。「何もしない老人たち」が、これからの日本を変えていく(かもしれない)。

まろくなりたい。

ブログタイトルを「転がる石はまろくなる。」とした。

一年前、たまたま訪れた妻沼小学校でこんな校則を見つけた。以後、まろくなろうと心がけて生きているつもりなのだけれど、なかなか、修行が足りない。

もっと詳しく知りたい方は以下を。

熊谷市立妻沼小学校のサイトから。

校訓の意味

校訓 「まじめ・まめ・まろく」の意味

先日、保護者の方から「校長先生は朝会で校訓の意味の話をされていると子供から聞きます」とお話がありました。確かに校訓を基盤に学校経営をしているので、よく校訓にはふれています。そして、子供からは「まじめ」はわかりやすいけど、「まめ」は、ちょっとわからなかった。「まろく」はさらにわからなかったと言われます。6月24日のPTA研修で聖天様の院主様に「まめ」とは「人に尽くすこと」というお話をいただきました。そこで、あらためて校訓の意味をわかりやすくまとめてみました。

「まじめ」 うそやいいかげんなところがないこと。真剣であること。
     本気であること。真心があること。誠実であること。他
「まめ」 苦労を惜しまずに物事にはげむ。勤勉。よく動く
     努力する。からだがじょうぶ。人に尽くす。他
「まろく」 温かく柔らな人当たり。円満にかかわる様子。落ち着いた。優しい。 
     角のないおだやかな様子。他
   古語まろい(まるいの意味)の連用形

このようになりました。子供たちには、これからもことあるごとに繰り返し伝え、まじめでまめでまろくなれるように教育をしていきたいと思います。大切な校訓です。

8月の全校朝会で

笑顔 まろく 円満に みんながしあわせになりますように

8月29日の全校朝会で、子供達に「笑顔」について以下のようにお話しました。

「今日は校訓『まろく』について話します。『まろく』とは円満にみんな幸せにするという意味もあります。そのために大切なのは笑顔です。妻沼小学校のこどもは笑顔を大切にしましょう。朝は元気に家族や先生や友達にあいさつするときの笑顔、何かを頑張って終わったとき、やったっていう笑顔 掃除が終わってピカピカにして先生に褒められたとき笑顔 寂しそうにしている友達に声をかけて笑顔 勉強を頑張って、できたとき笑顔、おいしい給食を食べて笑顔、 笑顔はまた笑顔をよびます そしてみんな幸せになります。幸せだから笑顔ではないのです 笑顔でいるから 幸せなのです。もう一度言います。幸せでないと笑顔になれない じゃなくて 笑顔でいると幸せになれるのです。やってみてください 妻沼小のまろくは 笑顔から始まります。」

朝会が終わって作文を書いてもらいました。この話を聞いてどう思ったか。
子供達はこれからは「笑顔であいさつしたい。」とか「笑顔を大切にしていく」
という話もでましたが、印象的だったのは幸せだから笑顔ではなく 笑顔でいると幸せになるということに共感してくれた子供が多くいたことです。なかなか難しいのですが、どこかで心に残っていてほしい言葉です。

夏休み明けでなかなかみんな笑顔とはいかないかもしれませんが、妻沼小、妻沼地区が笑顔であふれればいいなと私はいつも願っています。 妻沼小学校長 関根達郎

関根達郎先生は、昨年度いっぱいで転任してしまったようだけど、校則は引き継がれているようだ。

すばらしい。