各地のラーメン屋が案外と旨くない件。

いろんなとこでラーメンを食べていて、気づきつつあることには、イケてる感じの今風ラーメン屋は数多あれど、実際食べてみると案外イケてない、という事実。

仕事柄、飛び回るという程ではないけど、あちこちの知らない町に行くことは多い。で、いまどきの駅前で昼飯を食おうとすると、牛丼屋チェーンかラーメン屋しかない、という事態によく出くわす。となると、味を知ってる牛丼屋チェーンより、知らないラーメン屋の味を堪能したいと思うのが人情。たいてい、古くからやってる中華料理屋ではなく、新規開店で比較的若い人がやってるラーメン屋ということになる。

だいたいはおいしそうな気配を醸し出していて、お客さんもけっこうひっきりなしだったりするから、大いに期待したりするんだけど、出てきたラーメンが期待値を下回ることが、経験上圧倒的に多い。たまに旨いラーメンだとびっくりする。

これはいったい、どういうことなんだろう。不味いラーメンで、客が入らず閑散としているんなら納得もいくのだが、繁盛してているのに不味い。経験上、これはかなり多い。ネットのレビューも悪くなかったりだとか。ちなみに僕の舌はきわめてノーマルで、肥えているということは少なくともない。

いまのところの仮説。

その1.慣れの問題。馴染み客にとってはいつもの味。僕には慣れない味。→何度か通ううちに好きになるかも。

その2.多くのラーメン客は味ではなく「人気店という価値」を消費に来ている。→なんだかわからないけど名店と言われると有難がってしまうという心理。

これからもその謎を抱えながら、各所のラーメン店を突撃訪問することになるんだろうなあ。でもできれば、駅前のランチはもうちょっとバリエーションが欲しいよ。

車輪と道路というインフラを超えて

地上を生きる動物にとって、現代人間社会に欠かせない車輪と道路は非情な存在だ。道路を横断中に車輪に轢かれて命を失った動物は有史以来数知れず、また、道路を敷設することによって生命の源だった土壌はアスファルトに覆われて死んだ。

地上数メートルほどの高さで移動するツールができれば、アスファルトを剥がして命の土壌に戻せるし、バードストライクのリスクはあるものの地上の生き物は轢かれずにすむ。人間にとっても、道路を全面的に歩行空間にすることができて安全だ。

というような妄想を、散歩しながら考えた。

埼玉は、いいところだ。

なんといっても埼玉の一番いいところは、全国屈指の「ゆるさ」にあると僕は思う。映画「翔んで埼玉」は、埼玉の「ゆるさ」なしにはありえない。よそ者をよそ者扱いしない田舎って、埼玉以外にどこかあるだろうか。いろんなルーツを持つ人たちが、何気なく雑多に、普通に暮らせるのが埼玉。

愛知県三河地方の管理教育で痛めつけられて育った僕は、大学時代を千葉と東京で過ごし、卒業後1年間は千葉、あとはずっと埼玉で30年以上暮らしているから、もはや生まれ故郷よりも馴染んでいる。

埼玉は、秩父地方を除けば基本、平地ばかりなので、車があればぐるっと360度、どこに行っても何かしらのお店だったり、ちょっとした観光地だったりがあるのもうれしい。ま、観光地はちょっとしたものしかないのだが。

お店も、いまは各所に家族経営の小さなお店が新しくできていて、みな地元密着で、なじみのお客さんで身の丈経営をしているのが好ましい。地価の高い東京の繁華街だとスクラップアンドビルドが激しく、いまだとインスタ映えとかのエグい商売で一見の客を集めて荒稼ぎというパターンが主流だろうが、そういうのが埼玉は薄い。飲食店の味もいい。ちなみに埼玉は小麦の生産が盛んで、うどんに関しては意外と名店が多い気がする。しかも、地価が安くて注目度も低いから、おいしい料理を手ごろな値段で、ゆっくりと味わえるお店が多い。

埼玉の唯一ダメなところは、終電が早いところだ。これはとくにJR東日本はなんとかして欲しい。なんで神奈川方面が遅くて埼玉方面が早いのだろうか。→もしかして埼玉県民があまり働かないからか?

ともかく、埼玉はいいところだ。いいところだと言ったところで他県からそんなに人口流入もないので、いつまでたってものんきでいいところだ。

生きるのが大変な子どもたちへ。未来は君たちのものだ。生き残れ!

子ども時代は、時に過酷だ。そのことを全く理解できない大人も多いだろうが、ぼくにとって子ども時代は過酷だったから、ぼくなりに理解できる。50歳を過ぎた今から振り返れば、今ぼくが背負っているものなんて、子ども時代からすれば、鼻歌楽勝レベルにすぎない。あの頃は大変だったなあと久しぶりに思い出したのは、村田沙耶香の寄稿(朝日新聞2020年1月11日朝刊13面)を読んだから。

子どもの頃のぼくにとって、最も辛く大変だったのは「社会化」だった。ぼくは内気で、非社交的な子どもだった。というか、まず、学校という集団社会にまったくなじめなかった。学校は、一律な社会規範を子どもたちに教え込む場だ。叩き込む場と言ったほうがいいか。親や教師は、この一律の社会規範を身に付けなければ、社会でやっていけないと脅す。少なくともぼくはそう感じながら学校生活を過ごしていた。が、ぼくは大人たちが僕に叩き込もうとしている社会規範の意味が、さっぱり理解できなかった。なんでみんな同じことをしなくちゃいけないのか。ぼくは小学校入学から大学を卒業するまで、一貫して学校生活になじめなかった。全国的にも管理教育で知られた愛知県岡崎市という土地柄で育ったことも大きく影響したんだろうが。

たとえば、机をみんなで運びましょう、という。みんなで机の縁を手でもって、よいしょ、と持ち上げる。でもさ、この机を運ぶのに、こんなに人手要らないじゃん。大半はただ持ってるフリをしてるだけじゃん。でもそのフリが集団社会ではマストなんだよね。あほくせ。ぼくにとっては一事が万事、こんな感じだった。

無意味な儀式に延々とつきあわされる僕。あほくせ、と内心思いながら、一方で、自分は社会の不適合者なのではないかとの不安。不安におそわれるから、いやいやでも何とか学校に通って、集団規範にあわせようとする日々。どうやったらこの社会と、この自分をフィットさせられるのか、試行錯誤が続く。

何者でもなかった小学校時代。学年トップの秀才をはやし立てられた中学校時代。反抗的な高校時代。「破滅的」だった大学時代。結局、ろくな就職活動をすることなく大学を卒業。みんなと同じようには社会に適合できなかった。

それでもその後、一匹狼のフリーランスという道を選び、いまに至る。ぼくはリーマンには絶対になれないので、この道が唯一無二の選択肢だったことは、あとになって強く自覚することになる。こんな僕でも、この社会のなかで生きる道があるということは、子どもの頃のぼくにはわからなかった。学校生活になじめなくたって、ちゃんと生きる道はある。

生きるのが大変な子どもたちに伝えたい。

とにかく生き残れ。いまの君が直面している現実は、絶対的永遠の現実なんかじゃない。生き残りさえすれば、君にフィットした場所がきっと見つかる。そこで頑張らないで、駄目だと思ったら即逃げろ、と。

ところで、いまだにこの日本社会に根強く残っている、上意下達で一律な社会規範は、けっして人間社会普遍の社会規範ではない。日本という限られた場所で、しかも、おそらく明治以降に人為的に形づくられた、限定的なものだ。その効用はすっかり賞味期限が切れ、時代錯誤でむしろ社会の健全な成長発展を妨げるものに成り下がっているとすら思う。

これはあくまで仮説でこれから検証を要するのだが、明治政府は、西洋化と工業化に対応する国家とするために国民を教育した。天皇を頂点として統制のとれた、軍隊のようなピラミッド社会で命令されたままに動く、自主的思考を放棄した国民。つまりはロボットだ。この教育効果が最も著しく現れたのは戦時中ではなくむしろ戦後。1964(昭和39年)の東京オリンピック、「なせば成る!」とか「不屈の闘志」の時代だったのではないかとみている。4年後の1968(昭和43)年、日本はGNPで世界第2位、経済「大国」の座を勝ち取った。日中戦争から太平洋戦争へと至る道は結局のところ「大国」を目指して進んだわけで、1945(昭和20)年の敗戦でその道は途切れただけではなく、「大国」への道はその後も続いたとみるべきだ(ただし、GNP第2位は翌年6月10日に経済企画庁が発表した国民所得統計(速報)で明らかになったので、日本国民が「大国」を自覚したのは1969(昭和44)だったといえる)。その後、「黄金の」1970年代をピークに、「大国」日本は下降し続ける。ぼくはその最大の要因が、明治以降、「大国」を速成するために採られた、この無思考人間育成社会にあると思う。

と考えていくと、いま生きるのが大変な子どもたちこそが、将来の日本の希望の種だということになる。

子どもたち、希望を持って生き残れ。

時代遅れの大人たち、せめて邪魔をするな。

※追記:将来の夢なんてくそったれだという話を「将来の夢と社会規範」に書きましたので、そちらもよろしければ。

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朝日新聞2020年1月11日朝刊13面(寄稿)村田沙耶香

 

おっさんの完全な休日。

金曜の帰り、JR有楽町駅の混雑は尋常じゃなかった。ホームが一杯で階段でしばらく立ち往生、やっとホームに出てもやってきた京浜東北線には乗れず、次の山手線にも乗れず、さらにまた次の京浜東北線にはなんとか乗れたが、ぎゅうぎゅう詰めでなかなか扉が閉じられず。隣の東京駅までの間、死ぬかと思った。

混雑では、人間の本性が出る。こんにゃろーと思った。

そのせいなのかどうなのか、土曜の朝、やけに疲れていた。表現しにくいが、心身ともにどうにも駄目な状態だったので、予定を変更、一日ゆっくりと休むことにした。ちゃんと休むのも仕事のうち、と、プロのアスリートなら考えるかもしれないが、僕は人生を仕事に捧げているわけではなく、逆に、休みに好きなことをするために働いているので、休むときには休みたいし、好きなことをしたい。

雲ひとつない晴天だったので、そうだ風呂に行こうと、タオルや着替えを持って車で出かけた。近所のお気に入りの入浴施設が、最近経営が変わってリニューアルオープンしたので、行ってみることにする。チラシも入ってたし、混んでるかもしれないけど。

行ってみたら、案外空いてた。というか、ガラガラだった。お昼時だったからかな、露天風呂に他に誰もいなかった時も。のんびりできるのはいいんだが、経営が心配だ。ともかく、いつものお気に入りのとこに。奥まった、ぬる湯の一角で、わりと人気の場所だから、なかなか空かないこともあるんだが、今日はばっちり。青空を眺めながら、ゆっくりとできた。

昼飯どうしようか。天ぷらが食べたいなあと思った。揚げたての天ぷらがいいなあ。

風呂を出て、一階の食堂に行った。お、メニューに天ぷらがある。天ざるそばと、ノンアルを頼み、窓際の席でさんさんと陽に当たりながら料理を待つ。

すぐにブザーが鳴って呼ばれたので、作りおきの天ぷらかと一瞬がっかりしたが、予想を裏切って、なんと揚げたてだった。うまい。さくさくの天ぷらをいただきながら、ノンアルを飲む。クラフトビールがあったんだが。。。

揚げたての天ぷらだけで、うれしくなる。そばの方は残念ながらというか案の定というか、大したことはなかった。

食後、横になってしばらく休んでいたが、そばのアカスリ受付でずっと話し続けている男の無神経な大声が気になったので、さっさと出た。人生なんて適当でいいんだよー、などと笑顔で受付の女性に話している、四十がらみの男。酔ってるのかも知れないが、そんなとこで人生語るな。

陽気のなかを車でしばらく走り、田園風景のなかに建つ、なじみのカフェに行く。物静かな年配のご夫婦が営む、こじんまりとして、ゆっくりできるカフェだ。すっかり冬景色になった庭を眺めながら、コーヒーをいただく。いつも通りにおいしかった。会計を済ませ、いつものように庭を散策する。庭には木のベンチがあって、正面に太陽がある。太陽を見上げる景色が、僕は好きだ。

カフェの近くに最近出来た魚屋さんに行く。自宅の庭に建てたお店に入り、二点盛りの刺身を買う。ご主人がひとりで切り盛りをしている、小さな魚屋だ。並べられた刺身の点数も少ないが、なにか、いい意味で今っぽいなと思う。以前だったら、個人商店も目一杯の拡大指向で勝負、みたいな感じもありだったのだろうが、そうではなく、身の丈経営というか、無理をしてないところが好ましい。よりどりみどりをするなら大型スーパーに行けばいい。ひとつひとつが丁寧に作られた、数少ない商品のなかから、今日はどれにしようかなと選ぶのも悪くない。ぼくはできるだけ、個人や家族で経営するお店でお金を使うようにしている。ぼくが出したお金が、誰だかわからない巨大資本にばかり吸い取られるのは嫌だ。目の前で接客してくれる、感じのいいご主人に、お礼の意味も込めて支払いたい。

途中でスーパーに寄って、おいしいクラフトビールを買い込んで帰宅。日没前から、さっき買った刺身を肴に、ビールを飲みはじめる。

今日はいい日だった。

これが僕の、完全な休日の過ごし方。

全身で生きる、ということ。

これは昨夜、急に思い浮かび、メモしたフレーズ。

全力で生きる、ではないし、全身全霊で生きる、でもない。僕が敬愛する、居酒屋探訪の太田和彦さん。街を歩き、街を感じ、店や酒や料理を五感で味わう。全身で生きている。

生き物の基本は、全身で生きること。