転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

「機能的な庭」について。

うちの狭い庭は、どう見ても見栄えが悪い。あちこちにバケツとか何とかいろんなものがあるし、雑草が生え放題に見えるし。

雑草は、ぼくなりに時々抜いたり刈ったりはしている。でも基本的にはあまり手をつけない。雑草だって花が咲けばチョウチョがやってくる。雑草で覆われた地面はいろんな生き物の棲み処になる。イモリだかヤモリだかがちょろちょろ走り回っているし、カエルもいる。野良猫も通る。自然の生き物たちにとって住みやすい環境にしたいので、雑草はできるだけそのままにしている。

メダカを育てていると、メダカ池(ほんとの池じゃないけど、そう呼んでいる)のほかにもいろいろ必要になる。底にたまった汚れをすくい取って、それを移しておくタライもある。汚れをそのまま捨ててしまうのは良くない。気がついたらタライの水には稚魚がいっぱい泳いでいる。汚れと一緒に卵を移してしまったみたいなのだ。そんなこんなで色々増えていく。

つまり、野生の生き物やメダカたちが生きていく上で最適化していくと、このように雑然と汚らしい庭になっていく。自然のなかでは、「機能美」はどうも存在しないらしい。

僕ら自身が終息しないために。

在宅勤務で昼飯を食べに外に出たら、なじみのお店があっちでもこっちでも休業に次ぐ休業で、悲しいというか怒りのような感情がこみあげてきた。

ぼくの行く店はだいたいが家族経営や小さな企業経営。大規模チェーン店にはお金を吸い取られたくないと思っているから。かつ、混んでいる店にはあまり行かない。結局、空いてる小さな店となる。いわゆる3密とは縁の遠い店がなぜ休業する。ここは埼玉、しかも県央、のどかなエリア。住んでいる市ではまだ感染者1名。

連休明けの5月7日に緊急事態宣言が解除されて通常化するならまだ、それまでのいっときのこと、短期戦と決めて納得もいくかもしれないが、おそらくそうはならない。ウィルスとの戦いは長期戦となる。ならば長期戦としての体制でいくべきだ。

長期戦であれば、どこもかしこも休業では続けられない。零細のお店が長期休業したら潰れてしまう。営業を続けるか、それとも廃業するか、選ばなければならない。廃業するつもりのないお店は、長期継続できる対策をとったうえで営業継続すべきだと思う。

いっぽう、いまだに「懲りない」人がいる。張り紙で客にマスク着用を求めている店にマスクなしで訪れ、なじみの店員と延々と世間話をしている初老男性は、自らの行動を変える必要を感じていない。おそらくそうした人は全人口の1割程度はいる。彼らの姿を見ると、逆にロックダウンの必要性を感じる。

それぞれがそれぞれに考えて、判断していかないと、新型コロナが収束する前に僕らの暮らしが終息してしまいかねない。

ニュース・情報バラエティ番組、いっそカラーバー化したら

緊急事態宣言で、なじみのお店が休業してしまうと悲しい。ここは都内ではないし人との距離はずいぶんとあるし飲み屋ではないしランチを食べる静かなお店だったのに。家にいましょうと言われる前から家にいて在宅勤務が基本だが一日一度は外に出ないとメンタルヘルスが崩壊する。

穏やかな日常を壊されたくない。

きのうは近所のスーパーに昼の食材少々買いに行ったらスーパー大混雑、これじゃクラスター起きるぞと思ったが、気になるのは1割くらいマスクしてない人がいる。おそらく緊急事態宣言の対象になった7都府県内でもいまだに他人事のように思っている人たちがいて、一か月では到底終わらない懸念。

そして今や「煽りメディア」を化した感じのあるテレビのニュース・情報バラエティ番組。正義を振りかざすテイで視聴者の不安を煽ってないか。生放送だからって何でも免除されるわけじゃない。それちゃんと裏取ったか。それ伝える意味あるのか。…等々、次第に見なくなったが、世の中テレビを朝から晩までつけっぱなしのとりわけ高齢者世帯も多い。自らが伝えたことで社会に害をもたらしていないかという視点での検証が必要ではないか。マスメディアの責任の重さを日々自覚しているのか。自問自答しているのか。「不要不急」はむしろ今のニュース・情報バラエティ番組ではないのか。

どうなんだ。

意識と行動を変えていない1割ぐらいの人たちを変えるインパクトをニュース・情報バラエティ番組が持てるとしたら、それは、流す意味のない不安煽り系はぜんぶやめて、もう番組流すのやめて、伝えるべきことがないならいっそカラーバーを出したらどうだ。

追記:たとえば戸越銀座商店街に遠方からやってくる人たちを取り上げ、批判的に伝えたとしても、模倣する人たちがきっと出てくる。自粛を呼び掛けているテイで自粛の足を引っ張っている。そういったケースがおそらく多数ある。有害な報道は止めるべきだ。

追記:こういうことを書くと「マスゴミ」という言葉を使いたい人がきっと出てくるけど→人間はゴミではありません。ゴミ扱いしていい人間はどこにもいません。

誰が新しい風を吹かすのか。

75年前の敗戦時、日本中の人たちはどんな思いで焼け野原に立っていたのだろうか。『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー)では「虚脱」とした。いっぽう、当時中学生だったある人は「虚脱なんて言ってる場合じゃなかった」と回想するから、実態は様々だったのだろう。

資料未確認で記憶だけで書くから不正確かもだが、そのとき吉田茂は「おれの時代が来た」と意気揚々とした手紙を知人に送った。実際、それまでは一外交官に過ぎなかった吉田茂外務大臣から総理大臣となり、アメリカの占領下、戦後日本のベクトルを定めた。

新型コロナウィルスの感染拡大で世界中が不安、絶望、死の恐怖に脅かされている今だからこそ、明日に向かって新しい風を吹かそう。75年前の吉田茂のように、新しい時代をつくろう。

感染拡大防止に最大限の注意を払いながら、この「焼け野原」で夢を語り、前へと進もう。

どうでもいいものが吹っ飛んでいく。

近所の学校で行われた卒業式の話。無駄な来賓とか無くなり、先生や生徒、保護者らの心がこもった、簡素だけど感動的で、とても良い式だったと聞いた。新型コロナウィルス感染症拡大が社会に甚大な影響を与えている中で卒業式を行うには、普段以上の苦労とともに、「この子たちのためになんとか卒業式をやってやりたい」という大人たちの気持ち、「僕らの卒業式を」という子どもたちの気持ちが必要で、みんなの気持ちで行われた卒業式だから、生涯忘れられないものになったことと思う。

この出来事が教えてくれるのは、ウィルスが問うているのは僕らそのものだということ。

ウィルスは、僕らにとって本質的でないものを吹っ飛してしまう。来賓の挨拶なんてどうでもいいものは簡単に吹っ飛ばされた。東京オリンピック2020はどうか。金勘定の話ばかりが出ているから、僕は吹っ飛ばされると思う。「ここまでやってきて今更」的な話も聞くが、それは75年前、戦争末期の日本と同じ。ここまでやってこようが何しようが、負けるものは負けるのだし、「やめる勇気」を未だに持てないことを告白しているだけのこと。「おもてなし」はどこ行った。「アスリート・ファースト」は単なる綺麗ごとだったのか。

本当に大切なものは何なのか。誰のために、何をすればいいか。僕らの何気ない日々が、ウィルスごときで吹っ飛ばされてたまるか。

ささやかな僕らの日々を支えてくれているのは何か。それは、「心の豊かさ」の源となる「楽しみ」や「喜び」をもたらしてくれる人々だ。「心の豊かさ」は、人を強くする。彼らがいてこそ、僕らは戦える。だから、いつものおいしい料理屋さんに食べに行こう。

いつかこの試練が笑い話になりますように。

ツイッターに書いたことを整理して書きました。

 

追伸。

ぼくらはウィルスに試されている。

ぼくが、本質的に生きていかれるかどうか。どうでもいいものに拘泥せずに大事なものを守れるかどうか。この人間社会が、不安やら疑心暗鬼やらで混乱しないかどうか。さまざまな仕組みが健全に機能するかどうか。都市に人口が密集することの脆弱さから、強靭な社会を構築できるかどうか。さまざまなことが試されている。そして、これは「彼ら」の問題などではなく、「ぼくら」の問題であって、「彼ら」を一方的に叩いて溜飲を下げている場合なんかではないのだが、きっとそういう「正義」の人は、気づかないだろうなあ。

さらに追伸。

コロナショック後の世界で生き残るには」を書きました。ぼくらのこの社会、経済、働き方、生き方、いろんなことが今後変わっていきます。

うまい!

昼食に「うまい!」ものを食べるのが喜びだ。とりわけ、何もない田舎で家族が静かに営むお店で「うまい!」ものを食べられると、この上ない幸せだ。

ここ埼玉の近所には、そんな店が各所にある。ということは、全国至るところにそんな店があるのだろう。

僕はそんな店に助けられ、支えられて生きている。そして僕も、できるだけ巨大資本に搾り取られることなく、一人の客として通うことで、そんな店を少しばかりでも助け、支えて生きていきたいと思う今日この頃。

どうしようもない大人は恥でも役に立つ。

振り返ると、案外と「どうしようもない大人」の存在に助けられて生きてこれたように思う。

大学に入って上京し、僕はしばらくの間、「サウンド・ニュース」の編集部に出入りしていた。バイトで行ってたとかじゃなく、ただ編集部に遊びに行っていたんだけど、それについては既述参照。

んで、そこにも書いたけど、編集部には、追い込まれるときまって行方不明になってしまう男性がいた。たぶん30代くらいの人かなあ。みんなわかってるから別段驚きもせず、「ああ、またね」的な感じで放置プレイ、やがてその人は戻ってくる。

その人の担当業務の穴を誰がどうやって埋めていたのか知らないけど、でも、編集部はいつも通りに動いていたし、かといって、その人が「いてもいなくてもいい、どうでもいい存在」というわけでもなかったと思う。

んで、そんなのある種、どうしようもない大人の行為ではあるんだけど、まだ十代だった僕は、心の中で、「あ、これでいいんだ」と妙な安心感を覚えていた、ような気がする。

その後も、僕に影響を与えた大人たちは、みな、ある意味で「どうしようもなさ」を抱えていたように思う。テレビディレクターの大先輩、片島紀男さんなんかも、歴史番組の制作にかける情熱たるや常人ではなかったけど、片島さんの思い出を語る人たちのエピソードはどれもある意味どうしようもない話ばかりで、それをみんなが楽しそうに話すのを聞いているのが好きだ。

人間は不完全。でも、それぞれがそれぞれらしく生きている。それでいいじゃん。

どうしようもない大人たちは、それを教えてくれたように思う。

※反社会的行為も「どうしようもない」が、当然それは除外します。