転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

どうでもいいものが吹っ飛んでいく。

近所の学校で行われた卒業式の話。無駄な来賓とか無くなり、先生や生徒、保護者らの心がこもった、簡素だけど感動的で、とても良い式だったと聞いた。新型コロナウィルス感染症拡大が社会に甚大な影響を与えている中で卒業式を行うには、普段以上の苦労とともに、「この子たちのためになんとか卒業式をやってやりたい」という大人たちの気持ち、「僕らの卒業式を」という子どもたちの気持ちが必要で、みんなの気持ちで行われた卒業式だから、生涯忘れられないものになったことと思う。

この出来事が教えてくれるのは、ウィルスが問うているのは僕らそのものだということ。

ウィルスは、僕らにとって本質的でないものを吹っ飛してしまう。来賓の挨拶なんてどうでもいいものは簡単に吹っ飛ばされた。東京オリンピック2020はどうか。金勘定の話ばかりが出ているから、僕は吹っ飛ばされると思う。「ここまでやってきて今更」的な話も聞くが、それは75年前、戦争末期の日本と同じ。ここまでやってこようが何しようが、負けるものは負けるのだし、「やめる勇気」を未だに持てないことを告白しているだけのこと。「おもてなし」はどこ行った。「アスリート・ファースト」は単なる綺麗ごとだったのか。

本当に大切なものは何なのか。誰のために、何をすればいいか。僕らの何気ない日々が、ウィルスごときで吹っ飛ばされてたまるか。

ささやかな僕らの日々を支えてくれているのは何か。それは、「心の豊かさ」の源となる「楽しみ」や「喜び」をもたらしてくれる人々だ。「心の豊かさ」は、人を強くする。彼らがいてこそ、僕らは戦える。だから、いつものおいしい料理屋さんに食べに行こう。

いつかこの試練が笑い話になりますように。

ツイッターに書いたことを整理して書きました。

 

追伸。

ぼくらはウィルスに試されている。

ぼくが、本質的に生きていかれるかどうか。どうでもいいものに拘泥せずに大事なものを守れるかどうか。この人間社会が、不安やら疑心暗鬼やらで混乱しないかどうか。さまざまな仕組みが健全に機能するかどうか。都市に人口が密集することの脆弱さから、強靭な社会を構築できるかどうか。さまざまなことが試されている。そして、これは「彼ら」の問題などではなく、「ぼくら」の問題であって、「彼ら」を一方的に叩いて溜飲を下げている場合なんかではないのだが、きっとそういう「正義」の人は、気づかないだろうなあ。

さらに追伸。

コロナショック後の世界で生き残るには」を書きました。ぼくらのこの社会、経済、働き方、生き方、いろんなことが今後変わっていきます。