生きるのが大変な子どもたちへ。未来は君たちのものだ。生き残れ!

子ども時代は、時に過酷だ。そのことを全く理解できない大人も多いだろうが、ぼくにとって子ども時代は過酷だったから、ぼくなりに理解できる。50歳を過ぎた今から振り返れば、今ぼくが背負っているものなんて、子ども時代からすれば、鼻歌楽勝レベルにすぎない。あの頃は大変だったなあと久しぶりに思い出したのは、村田沙耶香の寄稿(朝日新聞2020年1月11日朝刊13面)を読んだから。

子どもの頃のぼくにとって、最も辛く大変だったのは「社会化」だった。ぼくは内気で、非社交的な子どもだった。というか、まず、学校という集団社会にまったくなじめなかった。学校は、一律な社会規範を子どもたちに教え込む場だ。叩き込む場と言ったほうがいいか。親や教師は、この一律の社会規範を身に付けなければ、社会でやっていけないと脅す。少なくともぼくはそう感じながら学校生活を過ごしていた。が、ぼくは大人たちが僕に叩き込もうとしている社会規範の意味が、さっぱり理解できなかった。なんでみんな同じことをしなくちゃいけないのか。ぼくは小学校入学から大学を卒業するまで、一貫して学校生活になじめなかった。全国的にも管理教育で知られた愛知県岡崎市という土地柄で育ったことも大きく影響したんだろうが。

たとえば、机をみんなで運びましょう、という。みんなで机の縁を手でもって、よいしょ、と持ち上げる。でもさ、この机を運ぶのに、こんなに人手要らないじゃん。大半はただ持ってるフリをしてるだけじゃん。でもそのフリが集団社会ではマストなんだよね。あほくせ。ぼくにとっては一事が万事、こんな感じだった。

無意味な儀式に延々とつきあわされる僕。あほくせ、と内心思いながら、一方で、自分は社会の不適合者なのではないかとの不安。不安におそわれるから、いやいやでも何とか学校に通って、集団規範にあわせようとする日々。どうやったらこの社会と、この自分をフィットさせられるのか、試行錯誤が続く。

何者でもなかった小学校時代。学年トップの秀才をはやし立てられた中学校時代。反抗的な高校時代。「破滅的」だった大学時代。結局、ろくな就職活動をすることなく大学を卒業。みんなと同じようには社会に適合できなかった。

それでもその後、一匹狼のフリーランスという道を選び、いまに至る。ぼくはリーマンには絶対になれないので、この道が唯一無二の選択肢だったことは、あとになって強く自覚することになる。こんな僕でも、この社会のなかで生きる道があるということは、子どもの頃のぼくにはわからなかった。学校生活になじめなくたって、ちゃんと生きる道はある。

生きるのが大変な子どもたちに伝えたい。

とにかく生き残れ。いまの君が直面している現実は、絶対的永遠の現実なんかじゃない。生き残りさえすれば、君にフィットした場所がきっと見つかる。そこで頑張らないで、駄目だと思ったら即逃げろ、と。

ところで、いまだにこの日本社会に根強く残っている、上意下達で一律な社会規範は、けっして人間社会普遍の社会規範ではない。日本という限られた場所で、しかも、おそらく明治以降に人為的に形づくられた、限定的なものだ。その効用はすっかり賞味期限が切れ、時代錯誤でむしろ社会の健全な成長発展を妨げるものに成り下がっているとすら思う。

これはあくまで仮説でこれから検証を要するのだが、明治政府は、西洋化と工業化に対応する国家とするために国民を教育した。天皇を頂点として統制のとれた、軍隊のようなピラミッド社会で命令されたままに動く、自主的思考を放棄した国民。つまりはロボットだ。この教育効果が最も著しく現れたのは戦時中ではなくむしろ戦後。1964(昭和39年)の東京オリンピック、「なせば成る!」とか「不屈の闘志」の時代だったのではないかとみている。4年後の1968(昭和43)年、日本はGNPで世界第2位、経済「大国」の座を勝ち取った。日中戦争から太平洋戦争へと至る道は結局のところ「大国」を目指して進んだわけで、1945(昭和20)年の敗戦でその道は途切れただけではなく、「大国」への道はその後も続いたとみるべきだ(ただし、GNP第2位は翌年6月10日に経済企画庁が発表した国民所得統計(速報)で明らかになったので、日本国民が「大国」を自覚したのは1969(昭和44)だったといえる)。その後、「黄金の」1970年代をピークに、「大国」日本は下降し続ける。ぼくはその最大の要因が、明治以降、「大国」を速成するために採られた、この無思考人間育成社会にあると思う。

と考えていくと、いま生きるのが大変な子どもたちこそが、将来の日本の希望の種だということになる。

子どもたち、希望を持って生き残れ。

時代遅れの大人たち、せめて邪魔をするな。

※追記:将来の夢なんてくそったれだという話を「将来の夢と社会規範」に書きましたので、そちらもよろしければ。

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朝日新聞2020年1月11日朝刊13面(寄稿)村田沙耶香

 

おっさんの完全な休日。

金曜の帰り、JR有楽町駅の混雑は尋常じゃなかった。ホームが一杯で階段でしばらく立ち往生、やっとホームに出てもやってきた京浜東北線には乗れず、次の山手線にも乗れず、さらにまた次の京浜東北線にはなんとか乗れたが、ぎゅうぎゅう詰めでなかなか扉が閉じられず。隣の東京駅までの間、死ぬかと思った。

混雑では、人間の本性が出る。こんにゃろーと思った。

そのせいなのかどうなのか、土曜の朝、やけに疲れていた。表現しにくいが、心身ともにどうにも駄目な状態だったので、予定を変更、一日ゆっくりと休むことにした。ちゃんと休むのも仕事のうち、と、プロのアスリートなら考えるかもしれないが、僕は人生を仕事に捧げているわけではなく、逆に、休みに好きなことをするために働いているので、休むときには休みたいし、好きなことをしたい。

雲ひとつない晴天だったので、そうだ風呂に行こうと、タオルや着替えを持って車で出かけた。近所のお気に入りの入浴施設が、最近経営が変わってリニューアルオープンしたので、行ってみることにする。チラシも入ってたし、混んでるかもしれないけど。

行ってみたら、案外空いてた。というか、ガラガラだった。お昼時だったからかな、露天風呂に他に誰もいなかった時も。のんびりできるのはいいんだが、経営が心配だ。ともかく、いつものお気に入りのとこに。奥まった、ぬる湯の一角で、わりと人気の場所だから、なかなか空かないこともあるんだが、今日はばっちり。青空を眺めながら、ゆっくりとできた。

昼飯どうしようか。天ぷらが食べたいなあと思った。揚げたての天ぷらがいいなあ。

風呂を出て、一階の食堂に行った。お、メニューに天ぷらがある。天ざるそばと、ノンアルを頼み、窓際の席でさんさんと陽に当たりながら料理を待つ。

すぐにブザーが鳴って呼ばれたので、作りおきの天ぷらかと一瞬がっかりしたが、予想を裏切って、なんと揚げたてだった。うまい。さくさくの天ぷらをいただきながら、ノンアルを飲む。クラフトビールがあったんだが。。。

揚げたての天ぷらだけで、うれしくなる。そばの方は残念ながらというか案の定というか、大したことはなかった。

食後、横になってしばらく休んでいたが、そばのアカスリ受付でずっと話し続けている男の無神経な大声が気になったので、さっさと出た。人生なんて適当でいいんだよー、などと笑顔で受付の女性に話している、四十がらみの男。酔ってるのかも知れないが、そんなとこで人生語るな。

陽気のなかを車でしばらく走り、田園風景のなかに建つ、なじみのカフェに行く。物静かな年配のご夫婦が営む、こじんまりとして、ゆっくりできるカフェだ。すっかり冬景色になった庭を眺めながら、コーヒーをいただく。いつも通りにおいしかった。会計を済ませ、いつものように庭を散策する。庭には木のベンチがあって、正面に太陽がある。太陽を見上げる景色が、僕は好きだ。

カフェの近くに最近出来た魚屋さんに行く。自宅の庭に建てたお店に入り、二点盛りの刺身を買う。ご主人がひとりで切り盛りをしている、小さな魚屋だ。並べられた刺身の点数も少ないが、なにか、いい意味で今っぽいなと思う。以前だったら、個人商店も目一杯の拡大指向で勝負、みたいな感じもありだったのだろうが、そうではなく、身の丈経営というか、無理をしてないところが好ましい。よりどりみどりをするなら大型スーパーに行けばいい。ひとつひとつが丁寧に作られた、数少ない商品のなかから、今日はどれにしようかなと選ぶのも悪くない。ぼくはできるだけ、個人や家族で経営するお店でお金を使うようにしている。ぼくが出したお金が、誰だかわからない巨大資本にばかり吸い取られるのは嫌だ。目の前で接客してくれる、感じのいいご主人に、お礼の意味も込めて支払いたい。

途中でスーパーに寄って、おいしいクラフトビールを買い込んで帰宅。日没前から、さっき買った刺身を肴に、ビールを飲みはじめる。

今日はいい日だった。

これが僕の、完全な休日の過ごし方。

全身で生きる、ということ。

これは昨夜、急に思い浮かび、メモしたフレーズ。

全力で生きる、ではないし、全身全霊で生きる、でもない。僕が敬愛する、居酒屋探訪の太田和彦さん。街を歩き、街を感じ、店や酒や料理を五感で味わう。全身で生きている。

生き物の基本は、全身で生きること。

小さな暮らし。

いい天気だ。11月もなかば過ぎだから晩秋なんだけど、空はよく晴れて、暖かい。日を浴びて、近所をしばらく歩く。

庭のメダカの世話は毎朝の日課だ。越冬が難しそうなチビはこの時期、室内の水槽に移す。引越し作業は先日やったところだが、移しそこねていたチビを2匹発見。水槽は水温が20度まであがっていて、庭の池─といっても本当の池ではない─とは8度も水温差が出てしまっているから、時間をかけて水温をなじませてから、チビを移す。案外と時間がかかってしまったが、チビはしばらくじっと様子をうかがった後、水槽のなかを泳ぎ出す。同じくらいの大きさのチビばかり16匹の水槽だ。楽しくやってくれ。

近所の図書館に行く。小さな図書館は冊数が限られる分、仕入れのセンスが問われる。ぶらぶらしてたら、スチュアート・ダイベックというシカゴの小説家の短編集が目にとまる。大きな図書館やら本屋やらアマゾンやらでは、なかなか無い出会いだ。1冊借りる。

ぼくらの毎日は、他愛もない小さな出来事から成りたっている。その出来事ひとつひとつの先に未来がある。という意味で、未来はぼくらの手の中にある。誰かの薄っぺらい妄想的言動のなかにあるわけではない。

小さな暮らしを、これからも生きていく。

「何もしない老人たち」が、これからの日本を変えていく。

大きな仕事がひと段落しつつあって、こころの余裕がやっと生まれてきた気がする。毎朝の庭作業が日課なのだけど、ゆっくりと見渡すと、これまでスルーしていたことに気づくことができるようになってきた。今朝は、道端に生えてた草木を切った。多少、通りやすくなったのではないかと思う。

ぼくはいま50台半ばだから、老人を自称するにはまだ少し早いけど、体力の減衰は自覚してるし、この先は確実に「老人への道」が待っている。どう歳をとっていくか、いまは選択肢がいろいろとあるだけに、考えていかないといけない。

駅前の商業施設に行くと、ベンチにはたくさんの老人が座って、何もしないで、ぼんやりと過ごしている。彼らは何も生産していない。生産至上主義的思考からすれば、要らない人間ということになる。

果たしてそうか。

近現代の日本は、「猪突猛進まっしぐら」に進んできた。社会ぜんたいが、じっくり、ゆっくりと考えてこなかった。思考停止の果てに、いまの日本社会がある。あちこちがいびつに仕立てられた、この社会の姿がある。

老人には、ゆっくりと流れる時間がある。ぼんやりと思いをめぐらせる余裕がある。これまで見落としていたことに気づけるかもしれない。高齢化社会、老人の数はこれからもどんどん増えていくから、日本社会全体の「ぼんやり総数」も増大していく。従来の生産至上主義からすれば、「増大するぼんやり総数」はネガティブなお荷物でしかないのだろうけど、いびつな現代日本社会を整えるパワーと考えれば、ポジティブな希望となる。

老人たちには、こういう日本社会にしてきた責任もある。凝り固まったお決まり思考から、ぼんやり時間が生む、自由で、多様な思考へ。

歳をとったら、ゆっくり、ぼんやりしよう。「何もしない老人たち」が、これからの日本を変えていく(かもしれない)。

まろくなりたい。

ブログタイトルを「転がる石はまろくなる。」とした。

一年前、たまたま訪れた妻沼小学校でこんな校則を見つけた。以後、まろくなろうと心がけて生きているつもりなのだけれど、なかなか、修行が足りない。

もっと詳しく知りたい方は以下を。

熊谷市立妻沼小学校のサイトから。

校訓の意味

校訓 「まじめ・まめ・まろく」の意味

先日、保護者の方から「校長先生は朝会で校訓の意味の話をされていると子供から聞きます」とお話がありました。確かに校訓を基盤に学校経営をしているので、よく校訓にはふれています。そして、子供からは「まじめ」はわかりやすいけど、「まめ」は、ちょっとわからなかった。「まろく」はさらにわからなかったと言われます。6月24日のPTA研修で聖天様の院主様に「まめ」とは「人に尽くすこと」というお話をいただきました。そこで、あらためて校訓の意味をわかりやすくまとめてみました。

「まじめ」 うそやいいかげんなところがないこと。真剣であること。
     本気であること。真心があること。誠実であること。他
「まめ」 苦労を惜しまずに物事にはげむ。勤勉。よく動く
     努力する。からだがじょうぶ。人に尽くす。他
「まろく」 温かく柔らな人当たり。円満にかかわる様子。落ち着いた。優しい。 
     角のないおだやかな様子。他
   古語まろい(まるいの意味)の連用形

このようになりました。子供たちには、これからもことあるごとに繰り返し伝え、まじめでまめでまろくなれるように教育をしていきたいと思います。大切な校訓です。

8月の全校朝会で

笑顔 まろく 円満に みんながしあわせになりますように

8月29日の全校朝会で、子供達に「笑顔」について以下のようにお話しました。

「今日は校訓『まろく』について話します。『まろく』とは円満にみんな幸せにするという意味もあります。そのために大切なのは笑顔です。妻沼小学校のこどもは笑顔を大切にしましょう。朝は元気に家族や先生や友達にあいさつするときの笑顔、何かを頑張って終わったとき、やったっていう笑顔 掃除が終わってピカピカにして先生に褒められたとき笑顔 寂しそうにしている友達に声をかけて笑顔 勉強を頑張って、できたとき笑顔、おいしい給食を食べて笑顔、 笑顔はまた笑顔をよびます そしてみんな幸せになります。幸せだから笑顔ではないのです 笑顔でいるから 幸せなのです。もう一度言います。幸せでないと笑顔になれない じゃなくて 笑顔でいると幸せになれるのです。やってみてください 妻沼小のまろくは 笑顔から始まります。」

朝会が終わって作文を書いてもらいました。この話を聞いてどう思ったか。
子供達はこれからは「笑顔であいさつしたい。」とか「笑顔を大切にしていく」
という話もでましたが、印象的だったのは幸せだから笑顔ではなく 笑顔でいると幸せになるということに共感してくれた子供が多くいたことです。なかなか難しいのですが、どこかで心に残っていてほしい言葉です。

夏休み明けでなかなかみんな笑顔とはいかないかもしれませんが、妻沼小、妻沼地区が笑顔であふれればいいなと私はいつも願っています。 妻沼小学校長 関根達郎

関根達郎先生は、昨年度いっぱいで転任してしまったようだけど、校則は引き継がれているようだ。

すばらしい。