転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

ドミちゃんとの別れを惜しんで。

20年近く共に過ごしてきたスバル・ドミンゴを昨日、廃車(一時抹消登録)にした。本当はもっとずっと一緒にいたかったが、劣化が著しく断念。それにしても心残りなので、技術的な問題で現在稼働していないブログに載せた記事と写真を以下に。 「ドミンゴがや…

庭仕事は心に良い。

「最近私は、心を静め、心にのしかかる圧力から自由になるために、庭仕事に向かう。どういうわけか、バケツが雑草でいっぱいになるにつれて、私の頭の中でジャングルのようにからみ合ってせめぎ合っていた考えはすっきりと片付いていくのだ。眠っていた考え…

おいしさは心の栄養になる説

…ということを考えています。 食事は体の栄養になるだけでなく、おいしい食事を摂ることは心の栄養にもなるのではないかと。 こないだどっかで一番ランチタイムが長いのはフランスだと読みました。フランスは市民革命の国であり、たしか防研史料で読んだと思…

マズいランチの教訓

昨日、ものすごくマズいランチを食べた。 以前コーヒーを飲んだことのある喫茶店で、コーヒーはわりと美味しく店内や店員の感じも悪くない。が、過去最悪とも言える、店が客に出してはいけないレベルの料理ともいえない料理だった。食べてすぐ会計を済ませて…

ラーメンを食べない。

数年前からラーメンを食べなくなった。自宅近くの特定のラーメン屋に時々行く以外は。 以前はよく食べていた。特に昼はラーメンが多かった。 ラーメンを食べなくなってわかったこと。出先で何か食べようと思っても、ラーメンを選択肢から外すと食べ物に困る…

自由と崇拝。

「だれかを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ」とスナフキンは言った(※講談社文庫新装版2011『ムーミン谷の仲間たち』p18)。 国を挙げて昭和天皇を崇拝していた戦時中の日本には自由はなかった。戦後民主主義国家となった新生日本にも自由はなか…

全国チェーン店で食べない理由

在宅で仕事をしていることが多いが、昼食はできるだけ近くの個人経営/家族経営/中小企業経営のお店で食べるようにしている。牛丼チェーンやハンバーガーチェーンなどの全国OR全世界チェーン店にはまず行かない。その理由は2つ。 理由1。どこで読んだか忘…

「小自然」のすすめ(雑草のある暮らし)

わざわざ車や電車で遠くに出かけて堪能する大自然もいいが、日常生活のなかで触れられる「小自然」もいいものだ。 我が家の庭は、一見すると雑草だらけで手入れの行き届かない荒れ庭に見える。手入れが行き届いていないのはその通りなのだが、雑草だらけなの…

安さを求めて貧しくなる

…という現象に僕らは陥りがちなのではないだろうか仮説。 安さは大量生産の大資本によってもたらされる。人々が安さに殺到すると大資本が潤う。大資本は潤いを独占するので、富の偏在が生じる。貧乏人が安さに殺到しているうちは貧乏人に富は配分されず、貧…

職場の「盛った関係」と飛沫とコロナ

昼食をとりに外に出た。いつものカフェに行く。先客のうち一組は職場関係とおぼしきおばさん3人組。けたたましく喋り、げらげらorくっくっと声を上げて笑う。 コロナ以後、ああした方々が突出して目立つようになった。電車でも、周囲がしんと黙りかえってい…

100%思考と自主的思考、そしてメディアの思考

世界各国のコロナ状況は概して、国民が権利を主張する傾向が強い国のほうが感染がひどいようだが、僕は彼らがある意味うらやましい。 翻って日本では、コロナに対する態度は地方によって大きく分かれる。田舎の閉鎖的な土地柄と、大都市圏とでは人々の考え方…

暮らしの行間

働いていると当然、ToDo(もしくはタスク)を次々と処理していくことになる。ぼくのToDoは状況次第で変動するから、日毎にToDoリストを組み直し更新していく。付箋が欠かせない。 当然、ToDoを文字に書いてそれを効率的に処理することを常に考えているわけな…

「安い」の罠

安いことは果して良いことなのか。僕らが「安い!」に飛びつくことで、何か大切なものを誰かに奪われているのではないか。「安い!」とは、実は僕らの豊かな日常生活を削り取っていく悪魔のささやきなのではないか。 …というのは大げさだけど。でも安いには…

心労に無理は禁物。

毎朝体重を計っていて、どんな時に太るか/痩せるかが次第にわかってきた。 重たいカバンを背負ってあちこち移動するなど体力を酷使した時に体重が落ちるのはもちろんだけど、頭もしくは心を酷使した翌朝も体重が落ちる。 頭の酷使は、緻密で長文のレポート…

体温のある消費を

たとえばマクドナルドに僕は滅多に行かない。巨大資本にはなるべくお金を渡したくない。巨大資本は優しい顔でかつ安価に商品やサービスを提供するが、払ったお金はほとんど地域経済に還元されない。雇われている人の給料やバイト代ぐらいか。莫大な利益が全…

空疎な笑い声

コロナ禍の今、外で昼飯を食べたり電車に乗ったりした時、やけにひっかかる耳障りな声がある。 空疎な笑い声。たいていのそれは、必要以上に音量が大きく、けたたましい。 多くの人が黙っている状況で、その声だけが響きわたることに、当人はどれだけ自覚的…

新国力論(下書き)

国力とは何か。ぼくら明治以来の日本人はそれを画一的に「頑張りの総力」と思っていたのではないか。一人一人が精一杯の力を出しきることで欧米列強に伍する国力に達するのだ、的な。昭和20年の一億玉砕的掛け声はその考えのひとつの帰結点だったと考えら…

長時間労働時間

毎朝体重を測定している。体が疲れた翌朝とともに、頭や心が疲れた翌朝も体重が落ちる。頭や心の疲労は、労働時間の長さとリンクしない。短時間労働でも、猛烈に頭を使ったり、猛烈に心を使ったりすると消耗する。というか、この状態で長時間労働は無理だ。…

年齢を越える。

男女の性の違いだけじゃなく、若者と老人の違いも固定観念を越えていこう、かな。

コロナによって僕たちは、

コロナによって僕たちは、僕たちの日常が凶器となった体験をした。そして日常とはデフォルトに存在するものではなく、自ら能動的に奪い取りに行かなくては手に入らない体験もした。本来僕らの生命や暮らしを守る役割のはずの国家や行政が肝心なときに正しく…

コロナで変わった自分。

心身の健康維持を大事にするようになり、できるだけオーバーワークをしないようになったし、オーバーワークをしないことに後ろめたさを感じなくなった。みんな帰宅が早くなったしね。 騒々しい空間から距離をとるようになり、自然豊かな環境にいたり、ひとり…

バカのちから

あるサッカー選手について「こいつ馬鹿だ」と思ったところから始まる。馬鹿、というのはこの場合、余計なことを考えず打ちこむ、といったような意味。つまりはサッカー馬鹿。 そこから、いろんなサッカー選手を挙げて、馬鹿か、馬鹿じゃないかの基準で仕分け…

生きものとの信頼関係

うちの小さな畑に住む、メダカ(飼って世話してる)、カエルやイモリだかヤモリだかや、バッタやカマキリその他の昆虫や、あとうちの畑を自分の庭だと思ってる何匹かの猫や、そうした言語の通じない生きものとの間に信頼関係を感じることがあって、それはと…

傷みやすくなった自分。

どうもこのところ、自分のメンタルが弱くなっているように感じる。ちょっとしたことが過大に気になったり、理由不明の不安感にとらわれたりすることが多くなったようだ。 原因をたどれば、たぶんコロナのせいだろう。 いま、政府・行政のコロナ対策で、飲食…

僕たちは神と暮らしている…

…のではないかと思ったので書いてみた。 生きものは神。

おいしいという文化

何かを食べて「おいしい」と感じるのは、文化だ。 異国の地で異国の料理を食べるのは、異国の文化に接していることになるし、住み慣れた地でいつもの料理を食べるのも、自国の文化に接していることになる。とりわけ、いつもの自宅いつもの店でいつもの料理を…

贅沢は思考停止の敵だ。贅沢は自主的思考の味方だ。

…と、思いついたので書いてみた。あとで追記するかも。

「快適」の奴隷

とある田舎のうどん屋に行った。周囲の客は(ぼくも含めて)相対的に都市部から来ているようだ。彼らの会話から、普段は都市部にある飲食チェーン店や大型ショッピングモール、あるいは大型娯楽施設などで休日を楽しんでいることが推測できた。そんな彼らか…

ブロイラーにならないために。

若いころ、とある小さなリサーチ会社で働いていたが、そこのボスはしきりに「自分たちはブロイラー」と自嘲していた。ブロイラーの如く、ひたすらにせっせとレポートを作成し続ける状態を指していた。僕もそこでブロイラーのように働いた。昼はほぼ毎日近所…

「何でもすぐわかる」の闇。

昨夜つけていたテレビの番組で、旅先で出会った体の時計修理人に対し「やり甲斐は何ですか」と質問していた様子に違和感を感じた。 初対面の、よく知らない人に対する質問ではないし、答えるほうも困るだろうな。とはいえ、大人はこういうときテンプレート的…