転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

2021-01-01から1年間の記事一覧

暮らしの行間

働いていると当然、ToDo(もしくはタスク)を次々と処理していくことになる。ぼくのToDoは状況次第で変動するから、日毎にToDoリストを組み直し更新していく。付箋が欠かせない。 当然、ToDoを文字に書いてそれを効率的に処理することを常に考えているわけな…

「安い」の罠

安いことは果して良いことなのか。僕らが「安い!」に飛びつくことで、何か大切なものを誰かに奪われているのではないか。「安い!」とは、実は僕らの豊かな日常生活を削り取っていく悪魔のささやきなのではないか。 …というのは大げさだけど。でも安いには…

心労に無理は禁物。

毎朝体重を計っていて、どんな時に太るか/痩せるかが次第にわかってきた。 重たいカバンを背負ってあちこち移動するなど体力を酷使した時に体重が落ちるのはもちろんだけど、頭もしくは心を酷使した翌朝も体重が落ちる。 頭の酷使は、緻密で長文のレポート…

体温のある消費を

たとえばマクドナルドに僕は滅多に行かない。巨大資本にはなるべくお金を渡したくない。巨大資本は優しい顔でかつ安価に商品やサービスを提供するが、払ったお金はほとんど地域経済に還元されない。雇われている人の給料やバイト代ぐらいか。莫大な利益が全…

空疎な笑い声

コロナ禍の今、外で昼飯を食べたり電車に乗ったりした時、やけにひっかかる耳障りな声がある。 空疎な笑い声。たいていのそれは、必要以上に音量が大きく、けたたましい。 多くの人が黙っている状況で、その声だけが響きわたることに、当人はどれだけ自覚的…

新国力論(下書き)

国力とは何か。ぼくら明治以来の日本人はそれを画一的に「頑張りの総力」と思っていたのではないか。一人一人が精一杯の力を出しきることで欧米列強に伍する国力に達するのだ、的な。昭和20年の一億玉砕的掛け声はその考えのひとつの帰結点だったと考えら…

長時間労働時間

毎朝体重を測定している。体が疲れた翌朝とともに、頭や心が疲れた翌朝も体重が落ちる。頭や心の疲労は、労働時間の長さとリンクしない。短時間労働でも、猛烈に頭を使ったり、猛烈に心を使ったりすると消耗する。というか、この状態で長時間労働は無理だ。…

年齢を越える。

男女の性の違いだけじゃなく、若者と老人の違いも固定観念を越えていこう、かな。

コロナによって僕たちは、

コロナによって僕たちは、僕たちの日常が凶器となった体験をした。そして日常とはデフォルトに存在するものではなく、自ら能動的に奪い取りに行かなくては手に入らない体験もした。本来僕らの生命や暮らしを守る役割のはずの国家や行政が肝心なときに正しく…

コロナで変わった自分。

心身の健康維持を大事にするようになり、できるだけオーバーワークをしないようになったし、オーバーワークをしないことに後ろめたさを感じなくなった。みんな帰宅が早くなったしね。 騒々しい空間から距離をとるようになり、自然豊かな環境にいたり、ひとり…

バカのちから

あるサッカー選手について「こいつ馬鹿だ」と思ったところから始まる。馬鹿、というのはこの場合、余計なことを考えず打ちこむ、といったような意味。つまりはサッカー馬鹿。 そこから、いろんなサッカー選手を挙げて、馬鹿か、馬鹿じゃないかの基準で仕分け…

生きものとの信頼関係

うちの小さな畑に住む、メダカ(飼って世話してる)、カエルやイモリだかヤモリだかや、バッタやカマキリその他の昆虫や、あとうちの畑を自分の庭だと思ってる何匹かの猫や、そうした言語の通じない生きものとの間に信頼関係を感じることがあって、それはと…

傷みやすくなった自分。

どうもこのところ、自分のメンタルが弱くなっているように感じる。ちょっとしたことが過大に気になったり、理由不明の不安感にとらわれたりすることが多くなったようだ。 原因をたどれば、たぶんコロナのせいだろう。 いま、政府・行政のコロナ対策で、飲食…

僕たちは神と暮らしている…

…のではないかと思ったので書いてみた。 生きものは神。

おいしいという文化

何かを食べて「おいしい」と感じるのは、文化だ。 異国の地で異国の料理を食べるのは、異国の文化に接していることになるし、住み慣れた地でいつもの料理を食べるのも、自国の文化に接していることになる。とりわけ、いつもの自宅いつもの店でいつもの料理を…

贅沢は思考停止の敵だ。贅沢は自主的思考の味方だ。

…と、思いついたので書いてみた。あとで追記するかも。

「快適」の奴隷

とある田舎のうどん屋に行った。周囲の客は(ぼくも含めて)相対的に都市部から来ているようだ。彼らの会話から、普段は都市部にある飲食チェーン店や大型ショッピングモール、あるいは大型娯楽施設などで休日を楽しんでいることが推測できた。そんな彼らか…

ブロイラーにならないために。

若いころ、とある小さなリサーチ会社で働いていたが、そこのボスはしきりに「自分たちはブロイラー」と自嘲していた。ブロイラーの如く、ひたすらにせっせとレポートを作成し続ける状態を指していた。僕もそこでブロイラーのように働いた。昼はほぼ毎日近所…

「何でもすぐわかる」の闇。

昨夜つけていたテレビの番組で、旅先で出会った体の時計修理人に対し「やり甲斐は何ですか」と質問していた様子に違和感を感じた。 初対面の、よく知らない人に対する質問ではないし、答えるほうも困るだろうな。とはいえ、大人はこういうときテンプレート的…

サイテーはサイコーの杖

若い頃、端的に言ってサイテーな暮らしをしていたことがある。おっさんになって振り返ると、当時まるで意味がないと思っていたあの暮らしには実はとっても大事な意味があることがわかった。 あんなサイテーな暮らしでも死なずに生き延びたんだから、たぶん大…

しらすが食べられない。

メダカを飼い始めてから、しらすが食べられなくなった。同じくらいの大きさだから。メダカが死んだら庭の土に埋めて弔うのに、しらすを旨い旨いと食べる気にはならない。しかもさ、しらす丼にどれだけの死の個体がのっかってるかと思うと気が遠くなる。

いつもの朝。

いつもの日々をいつも通り過ごせば、いつものように明日が来る。コロナ以前、世界中の人々が無邪気にそう思えていたと思う。個別の事情はあるにせよ。いまは、いつも通りに過ごしたところでいつものように明日が来るかどうかわからない日々を皆が過ごしてい…

小さな物語に支えられて。

インスタを見るのが日課だ。最初は芸能人のアカウントを興味本位でフォローしていたが、次第に飲食店などのアカウントのフォローが増えた。多くは個人や家族で経営する小さなお店。このコロナ禍でどこも大変だけど、各人が胸を張って営業を続けているさまに…

完璧な自然なんてない。

人が作るものななら、完璧な建築とか、あると思うんだけど、自然に完璧というものはない、と、ふと思った。 自然は自然だから。

畑の自生もの。

畑を耕さないと、次第に自生のものが増えてくる。 たとえばシソ。シソはあちこちで生えてくる。うちではシソの実の収穫が秋の恒例行事になっているから、シソは大事に育てる。植え替えても育つけど育成がいったん止まるので、大きく育てるなら放置プレイ。 …

「おいしい」は文化だ。

「おいしい食べ物」は万国共通ではない。国ごとに地域ごとに、その風土で育まれてきた食文化があるから、その土地ごとに「おいしい食べ物」は違う。たとえば僕がいま住んでいる埼玉県は実は「うどん」がおいしい。それは埼玉県人が歴史を重ねて磨き上げてき…

朝茶についてのメモ

お茶屋さんにこんな諺が掲げられていた。 「朝茶はその日の難逃れ」 ということから朝茶についてメモ。 日本には古くから、日常生活や習慣を日々丁寧に行うことにより、心を落ち着け、心を調えるという作法があります。朝茶もこの作法の一つです。朝に急須で…

雑草のない世界は荒野だ。

一軒家のウチには小さな庭がある。ぼくはここを小自然と呼んでいる。 庭の一部をこれまた小さな畑にしてるのだけど、次第に耕さなくなった。だって生きものが土の中に眠ってるんだもん。カナブンか何かの幼虫とか。掘ったら冬眠中のカエルが出てきたときはび…

「早い安い」は僕らを奴隷にする。

心を豊かに、そして強くする食事とはどんなものか。 コロナ以前から在宅勤務がデフォルトの僕は、できるだけ昼食は外でとるようにしている。一日一度は外に出ないと引きこもり気分だし、昼の日差しを浴びるのは健康にいいし、そして、多少なりとも地域経済に…

美味しさは強さ。

おいしい食事は、心を豊かにする。 豊かな心は、誰に寄りかかることなく自立する強い心だ。 だから、美味しさは強さ。 おいしい食事を作ってくれる飲食従事者は、強さの源だ。 単に栄養源としてだけでなく、僕らの生きる源だ。