転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

「あくせく指標」について考えた。

昨夜考えてメモに残したのだが、よく覚えていない。たぶんこういうことだと思う。

「あくせくと働く」ことは、この国ではわりかし美徳的に推奨されている、気がする。が、それはいったい、誰のためか。

誰かが兵隊でいることを喜ぶのは、兵隊を使っている側の人たちだ。経営者とか。たぶん国家官僚もそうなんだろうな。自分たちが兵隊至上主義だし。

でもそれによって妄想力は退化する。この場合、妄想力とは、自主的思考と密接な関係があって、それはある程度、気ままに考えること、思考をフリー化してやらないと、型にはまった思考に凝固してしまう。

あくせく指標を胸に置いて、ちょっとあくせくしすぎだなと思ったらフリー思考の時間を作ったりすることで、兵隊に劣化していくことを防げるのではないかと思った。

ああそうか、昔学生時代、「サウンド・ニュース」って雑誌の編集部に顔を出してたんだけど、そこには、追い込まれるときまって行方不明になってしまう男の人がいた。あれはきっと、あくせくからの脱出だったのかな。自分らしさを取り戻すための失踪だったのかもしれない。