転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

なぜ世情が豹変したのか(乖離する政治、報道)

昨日、近所のレストランで昼食をとった。家族経営の小さなレストランは満席で、外で景色を眺めながらしばらく待った。職場仲間らしい若い6人組の会食が出て、やっと席につくことができた。僕の後ろはスポーツクラブの帰りらしいおばさん6人組だった。店内には賑やかなおしゃべりで満ちていた。

今年の4月、5月頃には考えられない状況だった。どこの飲食店も閑散としていたし、大人数の会食など見かけなかったし、皆ひそひそと小声で話をしていた。

世情があの頃とまるで変わってしまったのだと実感した。「自粛警察」などというワードが飛び交ったあの頃とは。

何故なのだろう。

コロナの感染者数はあの頃よりもずっと多い。専門家らは悲鳴のような訴えをしているし、政府や自治体も呼びかけているのに、世情の反応は極めて鈍い。多くの人が、一応マスクをしている。マスクだけはしている。各所に設置された消毒液を使う人は減った。電車に乗るとあちこちで喋り声が聞こえる。しかもずっと喋っている。

そして、この世情を、新聞もニュース番組も伝えていない。記者はたぶん実感として感じているのだろうが、それを言語化できていない。世の中に起きている大事なことを伝えるのが彼らの仕事のはずなのだが。

いちばん理解できないのは、なぜ世情がこんなに豹変してしまったかだ。自粛警察時代は戦時中に似た実感があってこの国はちっとも変ってないと妙に納得できたのだが、現況には納得できない。

なんで皆変わってしまったのだ??