転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

コロナ禍マッチポンプ説

安倍首相の辞任会見以後、各社報道に占めるコロナ報道が際立って減った。ちょうど第二波が落ち着いているタイミングだったこともあるのだろうし、各社とも、いつまでこの調子でコロナ報道を続ければいいのか、やめ時を図っているタイミングだったのかもしれない。各社報道で一番威張っている政治部が、久しぶりに張り切っているのだろうから、自然、社会部その他はおとなしくなる。

コロナ禍とは、メディア各社が新型コロナウィルスを「びっくり仰天ニュース」としてお茶の間にばら撒き、驚いた視聴者・読者が大騒ぎをし、それを受けたメディア各社がさらに大騒ぎをし、さらに驚いた視聴者・読者がもっと大騒ぎをするという、メディア各社と視聴者・読者共犯のマッチポンプであったか。

一気にこう騒ぎが鎮火すると、そう思いたくなる。

追記:8月20日付のメモに「いま、伝えなければいけないことは何か。知りたいこと、知らせるべきこと」とある。これはコロナのニュース報道についての批判を書いたもの。視聴者・読者が知りたいことと、報道が知らせるべきこととは違う。知らせるべきこと=伝えなければいけないことについての自覚が報道に圧倒的に足りなかったと思っている。報道各社は少なくとも結果的に「コロナ炎上」に積極加担した。最初はまだそれでも仕方なかったかもしれないが、知見が蓄積された後も同じことしてどーする。彼らがすべきなのは日々の感染者数(←不正確な表現をいつまでも使っているが正しくはPCR検査で陽性者と判定された数)を伝えることだったのか。視聴者・読者をビビらせ社会を「自粛」に追い込み必要以上にストレスフルかつ経済疲弊な状況を生み出すことだったのか。正しい現状分析とそれに基づく行動指針の提示をすべきだったのにそれをしなかった報道各社の責任は重大で、コロナ禍はマスメディアによる人災だったと思っている。それを統括して次につなげられればいいがおそらくそうはならないだろう。