転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

旨いメシは戦争を防ぐ。

先日書いた「良い食事は、強い心であるために。」の続きの思考。

かつて日本が太平洋戦争へと進んでいった過程について考えていくと、少なくともその一つの因子に「大衆化」が挙げられる。大衆化と軍国化はほぼパラで進んでいる。日米開戦前には開戦に向けて熱狂するメディアと大衆がいた。戦時中は戦争に反対あるいは非協力的な態度に非国民とレッテルを貼る大衆がいた。それは今の自粛警察、マスク警察を思わせる。

それは自主的思考を停止して世間的思考に身を委ねる行為であり、権威への付和雷同だ。とどのつまり、弱く流されやすい心から生まれる。そうでなく、強く流されにくい自主的思考を維持するためには、豊かな心が必要で、豊かな心は、文化で支えられる。僕が言う文化とは、音楽や絵画といった芸術から、文学から、それらと同様に誰かが心を込めて作り上げたおいしい食事など、人のパッションが生んだあらゆるものだ。

だから、戦争がイヤだと言うのなら、声高に叫ぶのではなく、穏やかに旨いメシを食べようと思う。

追記:ってことは飲食従事者は平和に欠かせないんだから、コロナ禍で絶えてしまわぬように支えないとだし(もちろん音楽や芝居や芸能もろもろも)、コロナ禍とはまかり間違うと戦争への道になってしまうことを自覚しとかないと。