転がる石はまろくなる。

オンボロと小自然と。

僕ら自身が終息しないために。

在宅勤務で昼飯を食べに外に出たら、なじみのお店があっちでもこっちでも休業に次ぐ休業で、悲しいというか怒りのような感情がこみあげてきた。

ぼくの行く店はだいたいが家族経営や小さな企業経営。大規模チェーン店にはお金を吸い取られたくないと思っているから。かつ、混んでいる店にはあまり行かない。結局、空いてる小さな店となる。いわゆる3密とは縁の遠い店がなぜ休業する。ここは埼玉、しかも県央、のどかなエリア。住んでいる市ではまだ感染者1名。

連休明けの5月7日に緊急事態宣言が解除されて通常化するならまだ、それまでのいっときのこと、短期戦と決めて納得もいくかもしれないが、おそらくそうはならない。ウィルスとの戦いは長期戦となる。ならば長期戦としての体制でいくべきだ。

長期戦であれば、どこもかしこも休業では続けられない。零細のお店が長期休業したら潰れてしまう。営業を続けるか、それとも廃業するか、選ばなければならない。廃業するつもりのないお店は、長期継続できる対策をとったうえで営業継続すべきだと思う。

いっぽう、いまだに「懲りない」人がいる。張り紙で客にマスク着用を求めている店にマスクなしで訪れ、なじみの店員と延々と世間話をしている初老男性は、自らの行動を変える必要を感じていない。おそらくそうした人は全人口の1割程度はいる。彼らの姿を見ると、逆にロックダウンの必要性を感じる。

それぞれがそれぞれに考えて、判断していかないと、新型コロナが収束する前に僕らの暮らしが終息してしまいかねない。